プロフィール

モダンミステリースクール公認ヒーラー
Salon de Flamme代表 土屋多江子・土屋良尚

★土屋多江子(ツチヤタエコ)


初めまして!MMS公認ガイド・ヒーラーの土屋多江子です。

私は小売業を営む両親の元に生まれ育ちました。

子供の頃は自宅とお店が同じ建物内だったので、いつもパートさんや問屋さんなど大勢の人が出入りする賑やかな家で育ちました。

お店や事務所は私の遊び場でした。

そんな中、問屋さんや銀行などのビジネスの話や金銭的な交渉事を、父は当時小学生の私を隣に座らせて、大人の世界の一部始終を包み隠さず見せて聞かせてくれました。

私はそれを黙って見ているだけでしたが、同級生と遊ぶより何十倍も興味深く、大人の顔色を見ながら心理を読み取っていくのが当たり前となっていきました。

そして、相手が退出した後に、その交渉事がどういう意図だったのか、どのようにして話の流れを作ったのか、父の解説付きでした。

そして、疑いもなく「跡を継ぐ!」という意思が、いつしか私の中で当たり前になって行きました。

高校卒業と同時に跡を継ぐ。

私は進学校に通っていましたが、大学に行く気はサラサラありませんでした。跡を継ぐんだから学歴は必要ない。

早く実践で会社経営をしたい。そう思って、高校卒業と同時に会社を引き継ぎました。

当時、父は市議会議員に転身していて、二足のわらじは有権者の方に失礼だ。と言って、潔く会社を私に任せて、それ以来、一度もお店に顔を出すことなく議員活動に専念していました。

ナオさんとは高校生の頃から付き合っていました。

流れで、ナオさんもお店を手伝ってくれるようになったのですが、毎日一緒にいるので、あまり深く考えずに20歳で結婚しました。

跡を継いだのは良いのですが、当時の小売業は大型店やお酒のディスカウントショップががどんどん出店している時代だったので、競争が激化し将来性を感じませんでした。

両親が手出し口出ししなかったからこそ、自分の責任で会社経営と向き合う事になりました。

誰かのせいにしたり、時代のせいにしたりしている猶予は無く、直感で業種転換を考えるようになりました。

そんな中、お店のお客様から不動産の相談が多かったのです。「建て替えの間、貸してくれる大家さんを知らない?」
「あそこの空き家を買いたいんだけど、所有者知ってる?」
そして相談される度に、知り合いの不動産屋に紹介していたら、そこの社長さんに「そんなにお客さんがいるなら、自分達で不動産屋をやったら良いのに」と言われたのをきっかけに不動産の勉強をして、業者免許を取得。

若気の至りで私達は不動産屋で働いた経験も無いまま、不動産屋を始めてしまいました。

この時、私は25歳でした。

そこから10年くらいかけて、不動産業と小売業を徐々に規模を移行していきました。

アラサーの頃は、小売業、不動産業(2店舗)、3人の子育てで本当に忙しく、今振り返ると3番目の娘が生まれてから3年くらいは記憶が無いほどです。

この忙しい毎日のスケジュールで体が悲鳴をあげはじめ、30代半ばで甲状腺を壊します。

測定不可になるほど、甲状腺ホルモンの数値が上がり、良性腫瘍も2箇所できてしまい、甲状腺を全摘出する手術を受ける事になりました。

この頃から、体が言うことをきかなくなり、入院生活をしながら自分自身を見つめ直す事になりました。

こんなに我武者羅に頑張ってるのに、状況は変わらない。
事業が拡大したように見えるけど、比例して自分の忙しさが増すばかりで、私はどこに向かっているのだろう。

体はこれ以上無理だと言っている。

この頃、子供の頃から両親にレールを敷かれ、後継として育てられた事にも不満が出始めました。

そもそも私は何を追い求めているのか?

そんな想いを抱きながら、退院後も相変わらず変わらぬ生活をしていたある日、あるビジネススクールでアデプトプログラムに出会います。

そこで出会った方にアデプトプログラムを勧められ、私は直感的に「これだ!」と思って、その場でアデプトプログラムを開催しているガイドさんを紹介してもらい予約しました。

2015年8月にアデプトプログラムを受講する。

アデプトプログラムを受講してからの変化は本当に不思議で面白かったです。

私が今まで囚われていた事がどうでも良くなり、逆に今まで視野に入っていなかった事に目が向くようになり始め、人間関係も変化し、私自身が開拓していく人生へ。

私の全てが軌道修正し始めたのです。

今までは、その囚われていた状態にすら気づいていなかったのです。

例えば不動産の仕事では、取引の額が大きいので失敗が許されない。と言う不安や恐怖から、私はスタッフ全員の仕事を全て最終チェックしていました。

ところがアデプトプログラム受講後は、それがどうでもよくなり、他の資格者が契約書などをチェックするようになったのです。

すると、スタッフ皆んなが今まで以上に働き始めました。
そう、私が皆を縛っていたのです。
細かくチェックするから、皆んなが「多江子さん待ち」状態だったのです。皆は待たされ、私だけが忙しい状態。それすら気づいていなかった。

そして私はその最終チェックから解放されて、自分の時間が増えたのです。

これはほんの一部の例ですが、私の24時間全てにおいて、このような変化が起こり始めたのです。

今でも会社は息子達が引き継いで経営しています。
息子達も大学生でアデプトプログラムを受講し、他の同級生とは違う独自の自分を選択し続けています。

あなたの本当の人生はアデプトプログラムを受講しなければ始まりません。

かつての私のように。

側から見たら、全て揃っていて何不自由ない暮らしをしていても、本当のあなたは全く違うと言うこと。
そして、それを求めていると言うこと。

さあ!あなた本来のパワーを発揮した人生の始まりです!

あなたにお会いするのを、アデプトプログラムでお待ちしております!


★土屋良尚(ツチヤヨシナオ)


はじめまして、MMS公認ガイド・ヒーラーの土屋良尚です。

私は10代の頃から社長になりたいと思っていました。

その頃は只々、「社長」になりたい想いだけだったのですが、21歳のある日、知り合いだった12才年上の社長に
「いくら思っていたって、始めなければ始まらないよ!」と
言われ、「そうか!」と思い後先考えずその翌日会社を退社し
サラリーマン生活に終止符。
そして、何のあてもなく個人事業主になってしまいました。(笑)

それが、そんな私の行動を知ったサラリーマンだった頃の取引先の社長に、
「事業拡大するからウチの下請けになってくれ」と打診され、

私は「チャンス!」と思い「はい!」と二つ返事をし、
その会社の下請けを始めたんです。内心「ラッキー」ですよね!

その後、多江子さんと結婚して今の会社(土屋商事(株))の社長に就任しました。
この時、妻の父親から会社を預かったという気持ちがあり、会社を大きくして息子に渡すと決めていたのです。

しばらくは2つの会社を経営していましたが、それから数年して、最初に始めた会社をたたむことになり、その頃従業員が増えていて、新たに不動産会社をもう一社立ち上げました。

でも、その会社がうまくいかず、精神的にも肉体的にも強制終了状態に・・・そんな中の2011年3月にその会社を買ってくれる人が現れ、その会社を売却しました。見事に「強制終了!」

そして、賃貸の管理業がメインの仕事になっていた土屋商事一社に絞り仕事を集中することになりました。・・・が、・・・

またまた、会社拡大したくなるのですが、この頃は多江子さんにブレーキ踏まれっぱなしでした。(まあ当然だとは思うのですが・・・)

そんな中の2015年、多江子さんに連れられ
二人でアデプトプログラムを受講しました。
その後、多江子さんが先に形而上学の学びを深めていきました。

すると「多江子さんのブレーキがはずれてる!」ことに気がつき、また事業拡大をしたくなり出して、今度は建築業を始めようと思うようになり、建築業を始めてしまいました。

そして、幹線道路に店舗を構える会社にまでになりましたが、そんなある日、過労で倒れ入院、「またしても強制終了!」

その後の2020年に会社を息子に渡すことを決意し、「
成功」を追い求め走りつづけた30年間に終止符を打ちました。

「本当の成功」は他にあるということを「形而上学」で学び、この「形而上学」をもっと知ってもらいたいと思い、人生のパートナーの多江子さんと「Salon de Flamme」 サロン・ド・フラムを主宰することにしました。

10代の頃は「お金」を稼いで「社長になる」が目標でしたが、いざ会社を始め「社長になる」と毎月の売り上げは経費で消え、やっと経費がまかなえるようになると次は「会社を大きくしたい」と次々に目標(欲)ができてキリがありませんでした。 

そして、いつしか何のために働いているのだろう?「目標のため?」「家族のため?」「税金のため?」「銀行のため?」「従業員のため?」「会社のため?」自分がいつも他人のためやお金のために働いていて、趣味で自分の気持ちを誤魔化していました。

その趣味でさえも、その時だけ自分の気持ちを忘れさせてくれるだけで、自分が満たされないままでした。

そんな風に思っていた頃、出会ったアデプトプログラム。

もっと趣味を楽しんでいいんだと自分に許可を下ろした事を今でも覚えています。決して自分が苦しむために働いているわけではない!ということに気がついたんです。

そして、形而上学を仕事に取り入れながら趣味に仕事に走り出しました。

そして、形而上学を取り入れて仕事をするようになってから、必要なものとそうで無いものの選別がクリアになってきて、自分にとって「これは今必要、これは今はいらない」というような判断がスムーズにできるようになっていて、

なんか「引き寄せが強くなった」みたいで、
「こんな場所だったらすぐにでも購入して会社を移転するのに」と思っていたら、
ドンピシャな物件がしばらくして目の前に現れました。

気がついたら不動産の賃貸管理の仕事を当時の店長に渡して独立してもらいました。
それが、会社の場所(40年以上会社があった場所)も会社の電話番号もそのままあげました。(笑)

どちらかというと、自分が新規の場所に独立したみたいな感じでした。でも、自分の直感を信じてロードサイドの大きな店鋪に会社を移転させたんです。

その後も仕事が忙しくなってきて、自分の代わりになりそうな人が居ないかなと思っていたら、息子たちが2人まとめて帰ってきて会社で働くと言い始めたり、

でも、その息子たち(2人ともアデプトプログラム受講済)との意見が合わず自分が会社の第一線から退くということに・・・

そして会社を20代の息子たちに任せ、自分はこの形而上学を伝えるという仕事を始めました。

そして、20代の頃からやってみたかったラリーにもチャレンジすることを決意し毎年、海外のヒストリックラリーに参戦し始めたのです。最近では、全日本ラリーにも年間数回ほど出場しています。

アデプトプログラムを受けると人生がどんどん加速し、本当に自分がやりたいことや本当の成功が見えてくるようになるんです。

本当の成功を追い求めている貴方。
本当の自分を探している貴方。
真の帝王学を知りたい貴方。

アデプトプログラムでお待ちしています。
貴方が探しているものはきっとここにあるはずです。

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